草加煎餅の歴史

堅焼き草加煎餅のつくり方はこちらをご覧ください。


この辺の農家の保存食でした(真説)

江戸に幕府が開かれるとこの地方は、江戸市民の米倉として重要な米の産地になって来ました。 このあたりの農家では、その米を粉にひいて、蒸して、練って、ついて、うすくのばして塩をまぶして 焼いたものをおやつや仕事の合間に食べていました。ある時領内を巡視していた家康公の目にとまり「これは事ある時の保存食としても良い」とお褒めの 言葉を頂いたと言われます。しばらくして参勤交代の制度がしかれると、この地は日光街道の宿場町 として栄える様になり農家のおやつであった塩せんべいはいつしか商品となり旅人の郷愁をさそう 様になったのです。そして文明開化の頃、醤油の製造が盛んになると共に、これがつけられる様になりました。 現在でも塩せんべいの名が残っているのはこのためなのです。


おせんばあさんが焼くもち(伝説)

いまから300年ほど昔日光街道は草加宿の松原におせんと言うあばあさんが、茶店を開いて お団子を売って居りました。売れ残りがでると裏の綾瀬川に捨てていました。ところがある雨の日、雨宿りに立ち寄ったお武家さまはいつものようにお団子を投げ捨てている おせんばあさんに「うすくのばし、乾かして焼いてみなさい」と伝い残していきました。さっそく 試してみますと、香ばしいものが出来ました。旅人の間で評判になり「おせんばあさんが焼くもち」と言うことで、「おせんべい」となったと言う事です。



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